【妻がうつ病】37年前に生き別れになった妻の母親を探した理由

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人は生理的早産と言われています。

生理的早産は、スイスの生物学者であるアドルフ・ポルトマンが唱えた説です。
人の赤ちゃんは、食事や排泄などの全てを大人が助けなければ生きていけない動物であり、そのような状態で生まれてくることを「生理的早産」と名付けました。

生理的早産の原因は、脳を大きく成長させすぎてしまうと、直立二足歩行である人間の場合、産道を通れなくなってしまうためです。
人間は、他の哺乳類に比べると、巨大化した脳を持っているので、この状態で無事出産するためには、赤ちゃんの脳が小さいうちに、つまり未成熟なうちに産む以外、方法がないとされています。

つまり、脳が未熟な状態で生まれてくる人間は、生まれた後の環境が脳に影響する。

という事です。

-三つ子の魂は百までも-

一度は聞いた事がある日本のことわざですね。

皆さんはどう思われますか?

私の妻は彼女が1歳の時、両親の離婚が原因で母親と生き別れています。
この記事では、その事について私の意見を紹介します。

私は、学者や医師ではありません。
従って、専門的な知識や経験はありません。
この記事は、私の経験を記事にしたものです。

この記事を書いている、やま太郎と申します。
私の妻はうつ病です。

生理的早産でこの世に生を受けた人間は、生まれた後の環境が、人格、能力、体質に大きな影響を及ぼすと言われています。
私は、妻との結婚生活を経て、妻のうつ病の原因の一つが、彼女の生育環境が影響しているのではないか…と思うようになりました。

この記事が、うつ病と闘う方、その家族、友人、知人、同僚、専門家、研究者etc…の方々の参考になれば幸いです。

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目次

【妻がうつ病】妻との出会い

2010年11月、私は今の妻と結婚しました。
出会いのきっかけは、合コン。
私は既に30歳を過ぎていましたし、妻も20代後半でしたので、私も妻もそろそろ結婚した方がいいのでは…っと思っていた感じでの結婚でした。

付き合ったのは1年半くらい…
永い方ではないですね。

付き合い始めて、2ケ月くらい経った時だと思います。
話の流れの中で妻の方から言い出しました。

うちの親は離婚しているから母親がいないんだ…

えっ、そうなの‥。

っと、私が思ったのは親が離婚している事ではなく、母親がいないという事実の方でした。

-母親がいない-

批判されるかもしれませんが、私は母親がいないという環境に恐怖を感じたのです。

確かに、親が離婚している家庭は沢山あるでしょう。
しかし、親が離婚した場合、子供というのは母親が引き取るのが普通だという先入観が私にはあります。

-母親がいない-

なぜだろう…

私は、年齢的にも妻と結婚する前提で交際していましたので気になりました。

そこを気にするのはおかしい。

確かに。
その意見が正当だと思います。

しかし、当時の私は気になったのが事実です。
私の父はとにかく酒癖が悪く、母に暴力をふるっていました。
勿論、私も父から暴力を振るわれいましたので、とにかく父が怖くて、母がいない生活など考えられませんでした。

小学校の頃、母親がいないクラスメートの女の子が1人いました。
私は女の子に対し、憐憫の情を催していたのを今でもはっきりと覚えています。

-母親がいない-
-なぜだろう-

結婚前に確認しておきたい。
私は、妻に問いました。
なぜお母さんがいないの?

-私が1歳の時、別の男ができたらしい-

私はそれ以上の事は聞けませんでした。

だってそうですよね。
母親が不倫して別の男のところに出て行ってしまった話なんてしたくないでしょう。

私はこれ以上悩む必要はないと思い、妻と結婚する意志を固めました。

しかし、この事実は7年の歳月を経て、疑念が湧き出る事になります。
当時の私は、その事に気づく知識や経験もなかったのです。

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【妻がうつ病】妻の家族との対面

妻と交際して1年と3ヶ月。

なにせ30を過ぎていた私です。
今更、妻以外のひとを探す余裕はなかったのが正直なところです。
しかし、今考えると妻は私と結婚する事に必死だったのだと思います。
おこがましい言い方かもしれませんが、妻はあの時、すがる思いだったはずです。

-この男が終着点-

そのひとの最初の男になりたいが男
そのひとの最後の女になりたいのが女

妻のドツボにはまったのが私です。
しかし、妻の苦労がそうさせたのだと思います。

妻は、結婚を決めた私を実家に招待してくれました。
義父も義叔母も義祖母も緊張しているのが伝わってきました。
私は仏間に通され、義父からうな重をごちそうになりました。

-娘をよろしくお願いします-

まだ結婚させて下さいとは言っていなかったのですが…

とにもかくにも、義父は私を気に入ってくれました。
義父達は、私の事を初対面から「さん」づけで呼んでくれて敬語で話してくれました。
今でもその態度は変わりません。

-貴方に任せます-

その態度は、最初から今まで変わることは一度もありません。

最初の挨拶が済んだ後は、妻が一緒でなくても、私は義父宅にはしょっちゅう顔を出すようになっていました。
あの頃は、義祖母も元気で、手料理をふるまってくれていました。
とにかく料理が美味しいのです!
お腹いっぱい食べて、話して、楽しい時間でした。

しかし、これだけは結婚前に聞いておきたい。
もし、この事を聞いて結婚が破局になるのであれば、それはそれまで。
縁がなかっただけ。
結婚してから真実を知ってしまったのでは遅いのです。

-何故、妻の母親は妻をおいて家を出られたのですか-

義父側の返答は妻と同じでした。

-男と一緒に出ていきました-

そうなのか

であれば、それ以上聞く必要がない。

妻も同じ事を言っているし…

義母に問題があったのだ。
その義母はここにはいない。
妻とも義父達とも縁が切れている。
何も問題はない。

何も問題は…なかったのです。

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【妻がうつ病】孫の誕生に歓喜

別の記事【妻がうつ病】第一章/突然の発症は全てを巻き込んでいきました)でも書いていますとおり、私達の子供二人は不妊治療で授かっています。
お互い晩婚でしたので、3ヶ月頑張って子供を授かる事ができなければ、すぐに不妊治療を開始しようと結婚当初から決めていました。

結婚から2年目。
長女が誕生します。

義父達は大喜びでした。
長女を義父宅に連れて行くと、まだ歯が生えていないのに、お菓子を山ほど用意して、仕出し屋から取り寄せた鉢盛を並べて、催事事のようにもてなしてくれました。

何時間もボールを転がして遊んで、長女の名前を呼び続け、終始笑顔が絶えませんでした。

そんな、幸せの絶頂期にもズドンと落ちる問題が勃発します。

長女が3歳くらいの時だったと思います。
とあるコテージに親子3人で泊まった時の事です。
些細な事で、私と妻は喧嘩になりました。
その時の何かが原因だった訳ではないのです。
私も妻も仕事や育児にストレスが溜まっていたのでしょう。
私は喧嘩の勢いに火が付き、義父に電話を入れ「妻をお返しします。すぐ迎えに来てください!!」と言ってしまったのです。
その時は義父が上手に私をなだめてくれて、喧嘩はおさまったですが、後日、義祖母が私に言った事を発端に、義父達に疑念を持つようになります。

-貴方がダメなら離婚ですねー

…えっ?

離婚って、そんなに簡単に?
子供もいるし、妻一人に長女を育てさせるの?
誰が育児をサポートするの?
子供の将来を考えているの?

コテージの件から暫く経って、私が一人で義父宅にお邪魔した際に義祖母から、そう言われました。
その時も義父が間に入り、義祖母の言葉をうまく取り消してくれましたが、この頃から私は疑念を抱くようになります。

義祖母だけではありません。
義父にも。

ただし、2人とも私には今でもよくしてくれるのは事実なのです。

私が思ったのは

-嫁いだ義母はつらかったのではないか-

そう思い始めたのが結婚から4年目のくらいの時でした。

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【妻がうつ病】疑念の始まり

家族や夫婦関係が、毎日幸せで楽しい家庭がどれぐらいあるんでしょうか。
私はそれほど多くはないと思っています。
少なくとも我が家違います。
家族喧嘩や夫婦喧嘩は日常茶飯事。
毎日が戦場であります。

それは義父達夫婦も同じだったのではないでしょうか。

感情的な義祖母

妻は私に言ってました。

-貴方には私の実家の事情を分かる事はない-

最初の頃は、義父達が私に大変よくしてくれていましたので、妻の意見を否定していました。

しかし、コテージのもめ事を境に、私は妻の実家に対する見方が変わっていきます。

-特に義祖母-

とにかく、自分が思うように周りの人を動かそうとする人でした。

例えば、私が前日の残業が影響して睡眠不足の状態で妻の実家にお邪魔した時の話です。

義祖母は、布団を敷くからそこに横になってください、と何度も勧めてきたのです。
私は義父が孫と遊んでくれて世話もしてくれているのに、私が休むわけにはいかないと思い、義祖母のすすめを断りました。
それでも、どうしても横になるように言ってくるのです。

要は、義祖母はとにかく口うるさい人なのです。

一度は、ベランダの床の塗装に納得がいかなかったらしく、施工した業者にクレームを入れた事がありました。
あまりにも憤慨した様子でしたので、私がその塗装状況を確認しに行ったのですが、どこにも異常は見当たらず、綺麗に塗装されていました。

思わず、義祖母にどこがいけないのか尋ねたところ、興奮した様子で指を差し、「空気が入って風船ができている。」っと言ったのです。
その指先をよく見てみたところ、言われても気づけない程の小さな気泡ができていました。
直径1mmくらいだったと思います。
私は唖然として、この程度でクレームを入れるのか…と呆れたことがありました。

協調性?が強い義父

義父は、とても優しい方です。
義父から呼び捨てにされた事は一度もありません。
常に敬語で話してくれます。

そして、常に私の意見に賛成してくれます。
否定なんかされません。

しかし、それは義祖母の意見に対しても同じです。
義祖母が、義父に対し頼み事をしたら二つ返事で何でもされます。
義祖母の意見を否定する事はないのです。

要は、自分の意見がないのです。

自分がこうしたい、ああしたい、という意志がないのです。

義母の心境は…

自分の意のまま「事」を動かしたい義祖母。
自分の意がない義父。

-その狭間にいた義母-

義母が嫁いだ時代は、姑との関係性も難しいい時代だったはず。
いくら時代だからと言っても、その人次第では耐えられない事もあったでしょう。

特に、義祖母と義父であれば。

あれこれ言われても、義祖母に背くことはできない。
そのような時、義父は義母の味方をしてくれたのか。

-男と一緒に出ていきました-

それは本当なのだろうか。

裏を返せば、義父は他の男に義母を奪われてしまった…

とも言い換えられます。

そう思うようになったのは、結婚から6年が経過した頃でした。

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【妻がうつ病】義母探し

-別の男と出て行ったって言ったでしょ-

義父達に対する、私の感情の変化を妻に伝えたところ、妻の返事はやはりそうでした。

しかし、私は妻に問います。

-もし、それが嘘だったら-

-離婚について知っている事は他にないのか-

「裁判とかになって、義母に50万くらい慰謝料を払ったと聞いた事がある。」

えっ?
それ、おかしくない?

だって、男と出て行った義母に何で義父達が慰謝料を払う必要があるの?

妻は眉間にしわを寄せます。

「知らないわよ。」

そっけない返事です。

私は考えました。

・もし、義母が家を出なければならない理由が義父達側にあったのなら、義母はどのような思いで暮らしているのか
・義母は妻と離れて、どのような人生を歩んでいるのか
・義母は、どのような人なのか…

-妻に問います-

・もし義母が貴方が思っている人と違う性格の人なら、亡くなってからでは遅い
・自分の実母と会わずに人生を終えるのか

妻に問いますが、しらけた表情で返事をしません。

-義母が、どこに居るのかだけでも調べたら-

妻は、「貴方が調べたいなら、勝手に調べれば」っと冷めた口調で言いました。

-分かった-

こうして、義母の住まいを探す事になるのですが、義母の住まいはあっけなく分かってしまう事になります。

【妻がうつ病】義母の住まい

昔、テレビ番組でありましたね。
島田紳助さんが司会をされていた番組の”アレ”です。
生き別れた家族を、聞き込みや探偵などを使って探し出し、涙のご対面となる番組。

あの番組は100%ヤラセ番組です。
なぜなら、戸籍を調べれば家族を探す事なんて誰でもできる事だからです。

妻の戸籍をとってみたら、義母の従前本籍地が載っていました。
その本籍地の役所に問い合わせたところ、義母の住所はすぐに分かりました。
弁護士や探偵に依頼する必要はいりません。
費用も戸籍謄本を役所からもらっただけですので、1,000円もかかりませんでした。

私は妻が書いた委任状を持って、義母の本籍地を管轄する役所に伺いました。

戸籍謄本を受け取る際、担当の職員さんに義母を探している事情を説明したところ、意外な情報を教えてもらいました。

・義母様の苗字は変わっていません。
・今も、お一人暮らしだと思います。
・おそらく30年以上、ここでお暮しですね。

おかしい…
義母は不貞を理由に妻を捨てたはずなのに…
なぜ苗字が変わらず今も一人なのか…

瞬時にそう思ったのですが、義母の住居地を見て少し不安になりました。

義母が住んでいるのが 「公営住宅」となっていたからです。

-公営住宅-

私は、公営住宅に深い思い入れがあります。

公営住宅は、いつの時代になっても、この「大日本株式会社の闇を凝縮した世界」だと思うからなのです。

そこに義母は30年以上も住んでいる。
なぜ…

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【妻がうつ病】戸籍の矛盾

えっ?

妻も私と同じく、義母が公営住宅に住んでいることに少し驚きました。
妻は仕事の経験上、公営住宅の実態を少し知っていたからです。

公営住宅は、1951年(昭和26年)に公営住宅法が制定され、公営住宅の整備が本格的に始まりました。
当初は、深刻な住宅不足を解決するのが目的であり、戦後復興の一環として国民に住宅を大量供給するために開始されたので、入居者は家賃支払能力のある所得階層を対象としていました。

しかし、1955年(昭和30年)に日本住宅公団(現:都市再生機構)が設立さた事で入居者の対象が変わります。
高度経済成長によって増加したサラリーマン世帯を主とする勤労者階層に対する住宅供給は公団住宅が担うことになった事から、公営住宅の入居者は低所得者が対象となっていったのです。

低所得者の中には、前科者、元暴力団、その関係者や周辺者など様々…。
要は、公営住宅の人のモラルはあまりよくないのが私達のイメージです。

-母の生活の面倒なんてみない-

妻はそう私につぶやきました。

しかし、公営住宅に住んでいる人の全員のモラルが低いわけではないのです。

私は、大学を卒業した後、引越し兼清掃業みたいなアルバイトを4年間程やっていた時期があります。
そのバイトの現場で公営住宅にはよく行っていました。
どちらかというと、きちんと対応して下さった方が多かったと思います。
ただ、そうでない方も珍しくはなかったのも事実ではあります。
(※ 公営住宅での仕事は、社会の闇を見る経験を沢山しましたが、ここでは書ききれないので割愛します。)

それから、もう一つ。
戸籍に”ある矛盾”を見つけたのです。

義父達は、妻が1歳の時に義母が家を出たと説明していましたが、戸籍上の義父達の離婚日は、妻の生年月日から3年後の年になっていたのです。

別の男と出て行った義母がすぐに離婚していない。
3年後の離婚の理由は何なのか…
しかも、男と出て行った義母に義父側は50万を支払っている…

それに、役所の人の話では

・義母の苗字は変わっていない。
・現在も一人暮らし。
・おそらく30年以上、公営住宅に住んでいる

との事でした。

私は妻に問います。

・確かに、住まいが公営住宅なのは気になる。
・しかし、公営住宅の住居人が全て質が悪い訳ではない。
・義父達の説明と戸籍の記載事項には矛盾がある。

妻は私の説明をだっまって聞いていましたが…

-俺が、義母の様子を見てみようと思う-

-貴方が気になるならどうぞ-

こうして私は義母の住まいを「張り込む」事になりました。

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【妻がうつ病】張り込み

これほど、あてがない仕事はないでしょう。

-張り込み-

今の時代、刑事さんとかでもやっているんでしょうか。
カメラを設置すればいいだけの話です。
まさか、素人の私が張り込みをする事になろうとは…

戸籍に記載してある義母の住所地を尋ねました。
確かに典型的な公営住宅です。
エレベーターがない5階建ての団地が、豆腐を立てたように等間隔に7棟くらい建てられていました。

駐車場の通路の隅に車をとめ、戸籍に記載してある義母の部屋に向かいます。
義母の部屋は一階。
その部屋の玄関の前に私は立ちました。

そして、”違和感”を感じます。

-義父達から聞いた義母のイメージとは違う-

違うのです。
30年以上も前に建てられた玄関の様子ではないのです。
義母方の玄関のドアだけ綺麗に塗装してあったのです。
しかも、義母自身が塗装した感じが何となく伝わってきました。
なんかこう…、塗り方がプロではなく、素人っぽかったのです。
ただ、丁寧に塗ってある感じがしました。

ベランダ側に回ります。
観葉植物が置かれていました。
その観葉植物を見て、またもや”違和感”を感じます。
観葉植物の支柱にビールの缶が逆さに刺さっていたのです。

「お酒を飲むんだ…」っと思った訳ではありません。
ビールの缶を水洗いして乾かしてあるように見えました。
空き缶を水洗いして処分する人は少なくないでしょう。
しかし、水滴を乾かしてまで処分する人は珍しいのではないでしょうか。

「空き缶を捨てるのにそこまで気を遣う人なんだ。」
そう私は感じたのです。

一旦、通路の隅に止めていた車を義母方のベランダが見える場所に移動させ、車内から義母方の様子を窺うことにしました。

ベランダを見ていて「面白いな」、と思った事があります。
他の家のベランダも見ていると色々なベランダがある事に気づくのです。
洗濯物の干し方にしても、置かれている物にしても。
義母方のベランダはというと…
観葉植物が3個置かれていて、女性用と思われる服が干してあり、隣とを隔てる壁の上にはプラスチック製のトゲトゲしたやつが置かれています。
猫よけでしょうか…

そんな事をぼやっと考えていると、60歳代の女性が義母方のベランダから顔を出しました。

-義母かな-

そう思いましが、距離が離れていて顔はよく分かりません。
その女性は暫く空を見上げて引っ込んでしまいました。

つられて私も空を見上げたところ、雨が降りそうな怪しい雰囲気でした。

-雨を気にしているのか-

ベランダの洗濯物を取り込むタイミングを見ていたのでしょう。

暫くベランダの様子を見ていましたが、義母らしき女性は何度か顔を出しては空を見上げていました。

2時間くらいベランダを張り込んだでしょうか。

夕方が近づいてきましたので今日はもう帰ろうと思いましたが、最後に、もう一度玄関の様子を見たくなりました。

車から降りて義母の玄関側に回ります。

-玄関の前-

-このドアの向こうに義母はいる-

思わず呼び鈴を押したくなりましたが、それはまだできません。
と、我に返ったところで背後から足音が近づいてきました。

-住人かなー

不審に思われたらヤバイと思い、すぐさま団地の外に向かいます。
その時、先ほどの足音らしき人とすれ違います。

細身で初老の女性でした。
いつの間にか雨が降り出していたらしく、その女性は傘をさしていました。

-こんにちは-

咄嗟に挨拶したところ

-はい-

と小さな声が返ってきました。

-住人かー

振り向くことなく団地の外に出たところで、すぐに玄関の閉まる音がしました。

-義母だ-

間違いない。
義母だ。
私がベランダ側から玄関に回っていた間に、外に出たのです。

急な事で顔は見る事ができませんでしたが、”はい”という声は聞けました。

-何故、貴方はまだ幼すぎる妻を捨てたのか-
-ここで、どのような生活をしているのか-
-30年以上、妻と会いたいとは思わなかったのか-

降り出した雨に濡れている事に気づき、急いで車に戻りましたが、玄関の先に消えた義母への思いは、ここに来る以前の”思い”とは別なものになっていました。

帰宅して、その”思い”を妻に伝えます。
妻の返事は意外でした。

-私は会わない-

覚めた目をして、妻はそう私に返事をしたのです。

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【妻がうつ病】義母と対面

-事実は小説より奇なり-

私は、妻に義母方の様子を説明したら、きっと会ってくれるものと思っていました。

玄関やベランダの様子から義父たちから聞いた義母の人間像とは全く違うと思ったからです。

しかし、妻は義母と会おうとしません。

-あの人は私を捨てたー

その憎悪は消すことができないのです。

私には決して理解することはできません。
なぜなら、実母から捨てられた経験がないから。

私の母は私に海より深い愛情をそそいでくれたと思っています。
妻は、その愛と同じ感覚を一生涯感じることは出来ないのです。

-会わない-

寂しさと恨みが宿っている目をして私に言いました。

今は説得するべきではないと思いました。
義母に対する恨みが妻の様子から伝わって来たからです。

それから10ヶ月ほど経った3月。
私は、やはり妻を義母と会わせたい感情にかきたたされます。

長女がその年の春から1年生になる年だったからです。

長女を見つめていると色々な苦労が蘇ります。

・肺炎をおこし点滴の瓶に繋がれたこと
・妻がうつ病になり休職したこと
・妻が入院して長女と私の二人で実家で生活した事

義母は、何故に妻を捨てたのか…

別の理由があるのでは…

義母が亡くなってからでは、全てが闇に消える…

私は妻を説得しました。

-会うだけなら-

その返事を聞いて、私は即座に義母の家に向かいました。
夕方になっていましたが、妻から渡された母子手帳を持って義母の家に向かいます。

義母の玄関の前に立ちました。

-この扉の先に義母がいる-

呼び鈴を押します。

-結婚したんですか-

貴方の娘の夫である事を伝えた義母の返事の第一声は、それでした。

しばらく玄関先に待たされましたが、義母は私を家に入れてくれました。

動揺はしていましたが、義母は”この日が来た”っという対応で私の話を聞いてくれました。

義母は、決して義父たちが私に説明した人間像とは全く違ったひとでした。

しかし…

-事実は小説より奇なり-

妻と義母の隔たりは、一生涯、無くなる事はない事がはっきりしていくことになります。

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【妻がうつ病】義母が家を出た理由

義母は、玄関から入ってすぐ横の和室に私をとおしてくれました。
築40年近くの公営住宅ですが、掃除は綺麗にいきとどいており整理整頓がされていました。
壁は綺麗に塗装されています。
おそらく義母が自分で塗ったのでしょう。
玄関のドアと同じ塗装の仕方でした。
置いてある物から、決して裕福な暮らしではないと感じましたが、玄関にきちんと並べられた靴に目がとまります。
ブランド品っという訳ではないのですが、履きやすさにこだわった上等な靴のように感じました。

とおされた部屋にテーブルはありませんでした。
畳の上に直接お盆を置いてお茶が出されます。

-すみません。こんな部屋で…-

義母の緊張が伝わってきましたが、再度、義理の息子である事を伝え、突然の訪問を詫びました。
日も暮れる時間でしたので、単刀直入に離婚の理由を尋ねます。

-とにかく、義母とそりが合わなかったのです-

私は、”やはり”と思いましたが、自ら話す義母の話に耳を傾けます。

朝から晩まで家事続き。
何かあれば文句がとぶ。
それを夫に相談しても夫は義母の肩しかもたない。
どうしても耐えられなかった。

最初は、娘(妻)だけでも私が引き取ろうと思い裁判を続けた。
しかし、娘(妻)と息子(長男)を離れ離れにするのはかわいそうだと思うようになった。
家を出て3年後、私の貯金から出した義母達の生活費等を返してもらう名目で50万円を慰謝料として受け取り、離婚届に判を押した。

人伝いに娘が教師になったと聞いた。
年度末に新聞に載る教職員の異動発表一覧に娘の名前を探した。
すると数年前、娘の名前を見つけた。
しかし、それは同姓同名である事が分かり、最近は娘がどこで何をしているのか…
そう思って生活していた。

-他の男性と出会われて家を出られたのでは?-

-そんなの作り話です-

最初は、夫とは離婚するつもりはなく、アパートを借りて、そこで子供達と生活するつもりだった。
しかし、夫は義母から離れることはなかった。
そんな時、ちょうど、この公営住宅の募集が始まり、独身だった実弟と二人で暮らし始めた。
実弟は40代半ばで病気で亡くなった。
それからは一人暮らしで、再婚はしていない。

仕事は、建築関係の営業一筋で生きてきた。
今もその仕事は続けてる。

義祖母たちの話は嘘だったのです。

単に妻と義母を再開させないための嘘だったのです。

義母の話は、私の疑問点を全て打ち消す内容であり、義母の話にうそ偽りはないと思いました。

義母と連絡先を交換し、帰宅後、義母から聞いた話を妻に伝えます。

数日後、妻は義母宅を訪問します。

-どうだったのか-

涙のご対面…とはなりませんでした。

義母だけは喜びました。

妻は…

-私を捨てた事には変わらない-

その時、私は確信しました。

妻は、一生涯、母親の愛情を感じることは出来ないのだと。

母子関係を築く時間は、子供時代にしか存在しないのだと。

義母自身は、母親の愛を知っています。
だから、妻との再会を喜ぶことができたのです。

しかし、妻は実母の愛を感じる時間が無かった。
その時間は取り戻す事はできない。

妻は、母親の愛の深さを一生涯、感じる事はできないのです。

永遠に…

私は、そう思いました。

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【妻がうつ病】義母との再会はよかったのか?

妻は義母を許すことはないでしょう。
”義母から捨てられた…”
その恨みは一生消えないと思います。

しかし、第三者の目である私の意見は、義母と妻を復縁させてよかったと思っています。

なぜなら、妻と義母は喧嘩をするからです。
妻は私に義母の愚痴を言います。
義母さえも私に妻の愚痴を言います。

なぜ義母が私に愚痴を言うのか…

それは、復縁後、義母は子育てを手伝ったくれたからです。
その子育て中、義母と妻は様々な意見の食い違いが発生します。
それを口に出すので喧嘩になるのです。

そして、義母はその愚痴を私にぶつけるのです。

私は、義母の愚痴を聞けてよかったと思っています。

なぜなら、それこそが親子だと思うからです。

確かに、妻は母親の愛の深さを知る機会はありませんでした。
しかし、それでも親子の”縁”は切れる事はないのです。

妻と義母の復縁を義祖母たちは知りません。
勿論、知る必要はないことです。

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【妻がうつ病】復縁はするべき

-人間万事塞翁が馬-

これは私の人生訓であります。
もし妻と義母が復縁していなかったらどうなっていたか…
それは、誰にも分かりません。

しかし、復縁した事で新たな道が生まれたのは確かです。
盆と正月には義母方にお邪魔して食事をします。
娘たちの習い事の送迎を義母にお願いしたり、体育服のゼッケンを縫い付けるのは義母の仕事になりました。

私は、妻と義母が復縁してくれてよかったと思っています。

万が一、義母とそりが合わない場合は、二度と会わなければいいだけの話で、それを含めて会ってみないと分からない事です。

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【妻がうつ病】終わりに

最後に、なぜ妻が義母を恨んでいるのかを説明します。

それは、妻が貧乏な生活を強いられて来たからです。
義父は、離婚後、不幸な事故で首から下がほぼ麻痺した状態になり、仕事がほとんど出来ない状態でした。
収入は、義祖母たちの年金のみ。
生活は苦しかったのです。

妻は小学校高学年になった時、自分は勉強を頑張って安定した職に就く事を決意します。

中・高ともにトップクラスの成績で卒業し、国立大学に入学します。
さらにその国立大を卒業後、さらに別の国立大に入学します。
妻は国立大を2つ卒業しているのです。
しかも成績が優秀で学費は卒業まで全て無料。

妻は鬼の努力家なのです。

しかし努力家であっても努力が好きな訳ではありません。

「もし母が私を捨てなかったのであれば、こんな苦労はなかったはず…」

妻のこの気持ちは今も変わっていませんし、永遠に変わる事はないでしょう。

この考え方が正しいのか間違っているのかは、私には分かりませんし、誰にも否定する事はできません。

ただ私は、子供の事を思うのであれば離婚はしない方がいいと思うのです。

人は生理的早産で生まれてくる動物です。

人の赤ちゃんは、食事や排泄などの全てを大人が助けなければ生きていけない動物です。

脳が未熟な状態で生まれてくる人間は、生まれた後の環境が脳に影響します。

-三つ子の魂は百までも-

妻は、1歳の時に義母と生き別れています。
最も母親の手を必要とする幼年期に母親がいなかった妻は、生育に大きく影響したと思います。

私の妻はうつ病です。

妻のうつ病の原因の一つは、幼年期に母親がいなかった事が影響していると、私は思うのです。

「終」

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